ガレオン船とは

ガレオンは、船型や船の構造の上で明確な定義を下さず、16世紀中葉以降の航洋大型帆船の通称とみるのが一般的ですが、「4本マストで、当時として通常の帆装を持ち、長さと幅の比が大きくて甲板はシアが比較的小さく、かつ平坦であり、船首部が後方に対し低くなって鳥嘴上の形態を取る船」と厳密に定義する史家(R.C.Anderson)もある。縦帆と横帆を両方とも兼ね備えているということです。

長さと幅の比が大きくてとはキャラックでは、だいたい3対1だったのが、ガレオンではだいたい4対1以上であるということを指しています。

シアとは船を横から見たとき、船首や船尾に向かって少々反っています。その反り具合のことを言っています。

船首部が後方に対し低くなって鳥嘴上の形態を取るとはキャラックは船首の構造物が船体からはみ出るほど、張り出していますが、ガレオンにはそれがありません。(船首構造物は、船首を重くしてしまい、下からの波に弱いということで縮小化されている。)また、縮小化された船首は鳥のくちばしのように尖っています。

その他、ガレオンの特徴としては、特に、船尾の構造物が著しく発達しているという点がよくあげられます。(華麗に装飾されているものが多い。)

キャラックのページで「二層三層と船楼を積み重ね・・船体と一体化」などと書きましたが、さらに、時代が進み、かつ大砲もますます大型化してくると、重心を下げるために、甲板の下のスペースに大砲を設置しはじめ、両舷に砲門が設けられてきます。このスペースは本来、貨物を積載するためのものです。その結果、ガレオン船では、商船と軍艦の分化が始まります。(キャラックでは、このようなことはなく商船も軍艦も違いはありません。)

有名な船

華麗な船が多く、多くの日本人にとっては、まず思い浮かぶ帆船のイメージにあてはまる船種類ではないでしょうか。

ソブリン オブ ザ シーズ

船名に「海の君主」の名を掲げる、イギリスの1等戦列艦。1637年にイギリス王チャールズ1世の命により巨費を投じて建造され、その後200年の船舶設計の基礎となりました。金箔を惜しげもなく使い精巧な彫刻を施され、当時としては最も豪華に装飾された軍艦として名を馳せました。英蘭戦争におけるケンティッシュ・ノックの海戦では、旗艦として参戦。その光り輝く姿はオランダ海軍から「黄金の悪魔」と恐れられました。1685年にロイヤル・ソブリンに改名。1697年、倒れた蝋燭が引火して起きた火災により焼け落ちましたが、同じロイヤル・ソブリンの名を冠した2番艦、3番艦が英国海軍で活躍を続けます。トラファルガーの海戦でカスバート・コリングウッド提督の旗艦であったロイヤル・ソブリンはその3代目の船です。後にその名前は近代戦艦の基礎ともいわれる艦級、ロイヤルサブリン級に引き継がれました。

ワサ コーレル社キット

ワサ

スウェーデン海軍の64門戦列艦です。時の王グスタフ2世アドルフの命によって1626年起工しましたが、重武装に加え、建造途中で二層に増やされるなどトップヘビーな艦として完成。1628年8月10日、初航海後1,300 m ほど帆走した地点で横風を受け、実戦を経験することなく横転沈没しました。1950年代、水温や酸素濃度が低く、フナクイムシが生息していないバルト海の特徴から、海底のワサが復元可能な状態で沈んでいる可能性が浮上。沈没から333年経った1961年に引き上げられ、1988年に復元。現在もストックホルムのヴァーサ博物館で展示されています。船体や調度などが非常に良く原形を残しており、当時の戦列艦の姿、建造方法、設備などを現代に伝える貴重な史料となっています。

ラクローン コーレル社キット

ラクローン

フランス、最初の国産軍艦です。
イギリスの100門艦ソブリン・オブ・ザ・シーズに対抗してつくられたと言われています。技術的には、オランダの流れを汲んでいるといわれています。

ゴールデンハインド アークレーキット

ゴールデンハインド

初の世界一周を実現した※イギリスの提督、フランシス・ドレイク卿のガレオン船です。元はペリカン号という名でしたが、彼の世界周航を支援したクリストファー・ハットン卿の紋章が金の雌鹿(Hind)であったことから、ゴールデン・ハインドに改名されました。1577年、フランシス・ドレイクはエリザベス女王の命を受け、ゴールデンハインドと他4隻の船と共に、イギリス・プリマス港を出航しました。船隊は大西洋を横断して南米沿岸に沿って南下し、マゼラン海峡を経てカリフォルニアを目指しました。途中でチリやペルーにあるスペインの船や町を襲撃して莫大な財宝を奪い(イギリスの私掠許可)、カリフォルニアに到着後は太平洋を横断し、現在のインドネシア・モルッカ諸島に到達しました。その後インド洋と喜望峰を回り、3年の航海を経て、1580年9月にプリマス港へ帰港しました。ドレイクはエリザベス女王に航海で得た財宝を献上し、彼はその功績からイギリス海軍中将に任じられ、叙勲(サーの称号)を受けました。
※ 生きて世界一周した提督という意味では、ドレイク卿が最初です。